アメリカ藤が咲きました。春と秋と2季咲きです。

庭の方では、黄色い薔薇、サハラが咲き始めました。

家の庭となかなか相性の良くない、しかし、私の大好きなニュードーンも咲いてくれました。

私はこの薔薇の、儚さがとても好きなのです。
咲き方も好きですが、色があるのかないのかわからない微妙さにうっとりさせられます。
ビバリーが降るように咲いています。

名前を忘れてしまった、白いクレマチスも咲き出しました。

クレマチスは、咲き終わったら切ってやらなければならないものと、切らなくていいものがあるそうで、そのあたりよく分からないので、去年は枝の様子をみて、この花はどうしてほしいのかな?と思いながら手探りでした。

この天候の荒れが、私を気鬱にさせています。
私は贅沢な人間です。
ここ、日本と言う世界に稀にみる裕福な国に生まれ、躁鬱病こそ抱えていますが、身体は動き、子供たちは健康で立派に社会人として自立してくれました。
美しい花に囲まれ、恋人がいて、双方から愛されています。
社会不適合者の私の子供として生まれたのに、神様は子供からはそれを奪い去ってくれた。
私は、この先、子供たちに何がしてやれるだろう、何を残してやれるだろう、そんなことを考え行動することが生きがいになっています。
ならばまず、健康になれってことですよね(笑)しかしこれは時が解決するしかないんです。
今日の15時あたりまでは、身体が回復しようと頑張っていることを、感じていました。
ようやっと、こうしてPCの前に座れています。
過去のこと、ほんの些細なことがふと思い出され、頭から離れないことがあります。
高校のころだった、祖父母と義弟と生活保護を受けて暮らしていました。
小銭のたくさん入ったお財布をもって、祖母は、お前はこれで買い物をするのはいやだろうから、と、彼女はそれをもって買い物に行きました。
なぜ、あの時、いやではない、大丈夫だと、言ってやれなかったんだろう……
その責めは、20年以上務めた介護職で十分に負ったつもりだったけれど、結局いまでもこうして私の十字架となって背中にのしかかる。
今さらどうにもならないことで、私は苦しんでしまう。
皆さんにはそんなことはありませんか?
これが母親ならまだ存命だと思うから、謝ればいいのですが。
祖母には、謝りたいことがたくさんあるんです。
私の2度の秩父札所廻りは、その贖罪の意味が大きかった。
天気が回復すれば、私の心も回復するでしょうか。
コメント
こんにちは。お花がたくさん咲いて美しい季節ですね。
ブログを楽しく拝見しています。
貴方はとても優しい人だと思います。過去のことをずっと心に留めて背負っているのですね。人は皆何らかの十字架を背負って生きているのかもしれません。
あまり自分を責めないでくださいね。貴方は十分に優しいのだから。
貴方のペースで貴方らしい花をさかせられるといいですね。
良い1日を。
いつもコメントありがとうございますm(__)m