法隆寺と聖徳太子

50代 スキンダイビング 旅 ガーデニング メイク 躁鬱病

日本の歴史はこの辺りが不明です。

のちの天武天皇と天智天皇の関係などは謎が多い。

私は4世紀から7世紀あたりの日本の歴史に興味があり、随分と本を読み漁ったものです。

聖徳太子の正体は誰なのか。

蘇我馬子のダブルイメージなのか、はたまた本当に厩戸皇子と言われた人物なのか。

読み漁っていたころ、ドラえもんがいたならこの時代につれてってもらえたのにと、本当にじれったく思いました。

様々な研究があり、聖徳太子の正体は西ペルシアから逃れてきた人物ではないか、といった説もあります。

法隆寺に行ってみたいと思いながら、他に遊び惚けてまだ行ったことがありません。

法隆寺は、その独特な造りから、聖徳太子の霊を封じ込めるために造られた、という説がありましたが、この説は後に、否定されているようです。

私が生きている間に見たいものの一つに、夢殿にある救世観音像です。

聖徳太子を模したと言われるこの像は、日本人の顔ではありません。

また、明治になって夢殿が強引に開かれるまで、1200年、この救世観音は白布にまかれて眠っていました。

夢殿の扉は、開くと天災が起きると言われ長く、このような状態にあったわけです。

1200年の時を経て現れたこの像を見た人の感慨はいかばかりか……

2メートルと言われているこの像は光背を含めて、圧倒的な迫力をもって、人を黙します。

また夢殿は6角形ですが、これが遊牧民族のパオを模しているとする説もあるようです。

彼の功績が名高いため、さもそのような人物が本当に実在したかのように思われますが、実際はどうなのか。

ならばなぜ、一族は抹殺されなければならなかったのか。

他に会ってみたいのが天智天皇と天武天皇です。

彼らは天智天皇を兄とした兄弟といわれているものの、年譜をみれば天武天皇のほうが年嵩であり、彼らの正体もよくわかっていません。

壬申の乱は、実は朝鮮半島を含んだ、権力闘争であったというのも興味を持ちます。


あかねさす

紫野行き

標野行き

野守はみずや

君が袖振る

      額田王

紫草の

におへる妹を

憎くあらば

人妻ゆえに

我れ恋ひめやも

      応えて大海人皇子(のちの天武天皇)


大海皇子の妻であった、額田王を天智天皇が我が物とした為に、大海人皇子の恨みが高じて壬申の乱となったという話は、女性からみればロマンティックですが、どうでしょうか。

しかし、西洋には、ヘレナという美女を巡って戦争が起きたりしていることも鑑みれば、大海人皇子の鬱屈した気持ちの片隅には、そんな事情もあったかもしれません。

躁うつ病を発症してからというもの、活動量が、ぐっと減りました。

目標を立てないと、旅すらままなりません。

以前は、思いついたら翌日には現地にいるといった行動の仕方だったので、思えばこれは躁状態であったのかもしれませんね。まあその方が楽しいですが。

5月の18日まで紅世観音像は公開されていますね。

さあ、今の状態で、私は行けるでしょうか。


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