今日はこでまりの花が咲いていました

春は毎日が発見です。
北側の小道も随分とにぎやかになりました。

一番奥の薔薇のまわりにこの双葉の目がびっしり。
なにか見たことのあるような。
こぼれ種?
しばらくようすを見ようと思います。

なんでしょうかね、ちょっと楽しみですね。
歳を経て解ってきたことがあります。
愛情は口に出して、戸惑いなく、伝える、ということです。
そう思ってた、そのつもりだったでは相手に伝わらないことも多いでしょう。
揚げ句に死に際になってそんなことを言われても、残された側は、どうしていいかわかりません。
わかってやれなかった自分が悪いのかと責める気持ちと、そんなのは卑怯だと、相手を責める気持ちとのせめぎあいで、苦しみます。
わたしが今、愛情をつたえる相手は、二人の子供です。
役に立ってやりたい。
お母さん、ありがとうと言われれば、こんな幸せなことはありません。
子供が生まれて解ったこと、それは一人生まれれば人生が2倍になり、二人生まれれば3倍になっていく、という人生のふくらみと、愛情、というものは尽きない泉だということです。
子供が生まれると男性は、妻が自分をかまってくれなくなった、というちょっとわかり兼ねる心理を聞くことがありますが、愛情というものは分かち合うものではなく、ただ増えていくものなのですよ。
あとは友人、親しき仲といえども、ありがとう、は忘れません。
親友が最近、再婚したんですよ。
式こそ挙げませんでしたが、美しいウェディングドレス姿を見たときの幸福感、涙がでました。たくさん、幸せになってほしい、心の底からそう思います。
そして恋人でしょうか。
トライアスリートであり、投資家の彼は、いつも精悍で、印象に残る眼差しを持っています。
他人とのコミュニケーションが苦手で、最低限の物言いしかしないので、困惑することが多いのですが、自分がそうしたいと思って、受け入れた人なのだから、覚悟を決めて、すべて受け入れようと、思っています。
なんとなく、私の年代の恋にしてはハードじゃないか(-_-;)と息切れすることもありますが、私はチャレンジャーであったはずだと思い、心を奮い立たせています(-_-;)
私の祖父母は愛情表現のうまくできない人でした。
ゴミ父はそもそもそんなものもっていません。
祖父母が亡くなった時、祖父母も互いに遠回しな相手への気遣いですれ違い、結局誤解しながら人生を終えてしまったと思います。
私は人生の中ごろから、愛は、その時、素直に、飾らず伝えようと、思って生きています。
もうこの年代になると、いつ何があるかわからないし、あの時、こう言っておけば、なんて最後に後悔はしたくないし、子供や友人たちにも変な後悔をさせたくはありません。
愛がある、それだけで人生は素晴らしい。
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