
ひなげしの花
この花が道端に咲き出すと、春もいよいよ押し迫ったなと、思います。
それにしても桜が咲き出してからというもの、雨が多いです(´;ω;`)
ところで信頼って、なんでしょうね。
私は誰を信頼しているといえるのか、考えると難しいです。
私の生育環境にも問題があったためでしょう。
親を信頼できなかったとしたら、他に誰がいるでしょうか。
パートナー、友人、子供………もちろん信頼しています。
でもなにか、違うような気がします。
私が子供の頃は、周囲は敵だらけでした、親を含めて。
学校の教師もそう。
子供は敏感なものです。女の子であれば、自分にとって危険な人物かどうかを瞬時に見分けることができます、私の場合はそうでした。
親は、とにかく愚かで粗野で教養のかけらもない、クズだったと思います。
父親は仕事をせず、女問題を起こしては、私を祖父母に預けて遊び惚けていましたから。
義母はといえば、同類です、表と裏で顔が違うだけ、知恵はあったのかもしれません。
では祖父母を信頼していたかと言えばそうではない。
成長するにつれて、彼らとの溝は深まるし、彼らにとって私は厄介者になっていきましたから。
しかし、たったひとり、私が信頼できた人がいたんです。
祖父の会社で働いていた人です。船本のおじさん、と呼んでいました。
船本のおじさんは、私に危機感を与えない、善人でした。
少し、知的障害があったようですが、おとなしく、いつも優しく微笑んでいる人でした。
中学に上がった頃、夜に急な腹痛を覚え、まともに座っていることすらできずに苦しんでいる私をみて、父はどこかへ遊びに出かけ、義母はお風呂に入ってしまいました。
ちょうど家に滞在していた船本のおじさんは、いつもの温和な顔から一転、義母を風呂から引きずり出し、父をどこからか連れ戻し、車に乗せると、
この我慢強い子がこんなに痛がってる、余程のことだ、この家の親はどうかしてる!!
そう怒っていました。
わたしの腹痛は、おじさんの言葉を聞いてすうっとひいていきました。
ああ、解ってくれる人がいるんだ
そう思うと幸せを感じたんです。
結局、盲腸の疑いはあるとのことで、薬を出してもらいまいしたが、あの痛みはいったいなんだったのでしょう、心の痛みだったのかな。
船本のおじさんのおかげで、私は誰も信用できない子供時代を過ごすことを避けられました。
今でも恩義に感じています。
皆さんの信頼する人は誰ですか?
さて、雨の合間にひとっ走りしてきます。習慣の10Kランです。