ヴィーガン、という考え方があります。
人の考えは人それぞれなので、否定はしないのですが、困ったことにはこうした人たちは自自分の考えが正しいと、人に押し付けがちなことです。
言ってしまえば、命の形状、大きさ、そういったもので、その生命の価値を決めているのがヴィーガンはじめ、菜食主義者でしょう。
20歳のころ、私も菜食主義を実践したことがあります。元々、肉が好きでなかったため、苦にはなりませんでした。
しかし、パイナップルを切りながら、ふと思ったんです。
これも命ではないのか?
間違いなく命です、キャベツも豚も人間も命なんです、そこに優位性などありません。
ただ、われわれ人間が生命における優位な捕食者であるだけです。
そう思ってからはあっさりと、菜食主義はやめました。
命は命によって支えられています。
むろん、自分で手を下せない豚の肉を食べることに異論はあるでしょう。
そこで、お前は殺せるのかと言われれば、出来ると答えます。
私が母親だったからです。
子を養うために、命を頂戴することでしょう。
欧米の人は遊びで狩猟をするくせに、菜食主義だヴィーガンだというのがおかしなところです。
私たち日本人、マタギは遊びで熊討ちをしていたわけではありません。その熊が、自らと家族と集落を養っていたのです。
そのことの重みを知っているから、彼らの儀式が存在するわけです。
イヌイットは遊びで鯨を採っているわけではありません。
同じように、その鯨一頭が、集落全体を養うのです。
だからおなじように、鯨への感謝の儀が行われます。
植物を命と思えない人でも、その足元で何万ものバクテリアが死んでいることを知ってほししものです。
生命の活動は互いに結びつきあって、この地球環境で生かされています。
ただ、人間は最強の捕食者です。
ヴィーガンではない私は、食べ物をつまり命を粗末にしないこと、それだけを心がけています。
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