海を見にいったものです。
私の育った街は海に面していましたが、子供にとってはなかなか1人で行くには遠く、しかし中学になった私はバスと歩きで行けることを知り、2年生の冬だったと思います、決行しました。
終点のバス停をおりると、そこはもう街ではありません。
ただ、松林が広がるばかりで、海に向かって道路はあるものの、道路は怖かったので、松林に伸びる道を歩き出しました。
だいぶ雪が積もっていたので、2月だったのでしょう。
14歳の私は、一人、誰もいない雪道をひたすら歩きました。
しばらく怖さと闘いながら歩くと、波音が聞こえて来、とにかく迷っているわけでないことに安心し、歩き続けると松林が途切れます。
途切れた先には坂道、そこに海がある、駆け上がって見下ろすと、そこには荒れ狂う冬の日本海が広がっていました。
怖くて足がすくみました。
太平洋側の人は冬の日本海の荒れをご存じないでしょう。
重苦しくのしかかる暗い雲、荒れる海、それが日本海の冬です。
しばらく眺めていると、砂浜に降りてみようと思い、思い切って波打ち際まで行って、一人遊びました。
私はその時、何か悩み事で心が重かったのですが、帰りにはすっかり気持ちは晴れていました。
その海にはそれ以後、毎週のように通うようになります。
高校へ上がると、行きたくない日は一日その海に居ました。
学校へ行ったはずの子が、真っ赤に日焼けして帰るのだから、家人は不思議に思ったことでしょう。
何をするでもなく、海を眺めることが好きでした。
海に憧れ、写真で見た与論島に憧れ、将来は移住しようと考えていました。
それが高じて、小笠原への移住の準備を始め、仕事も決めたところで足を負傷、当時医者のいなかった島にいくわけにもいかず、断念。
断念したところで、主人と出会うので、人間とは定めの坂道を転がっているようなものですね。
コメント