介護職というもの 

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私は20年近くを、高齢者・障がい者の介護を仕事にしてきました。

始まりは、祖父母への悔悟の念からでした。

何もしてやれず、生意気盛りに死なれた私は、祖父母に対して悔んでも悔やみきれない悔悟の念に苦しんでいました。

介護保険が制定され、それにまつわる仕事が出来たとき、これこそ天職ではないか、使命ではないかと、そう強く思い、資格を取ってすぐ仕事に就きました。

14年ほどを訪問介護に、6年余りをデイサービスにて、働かせて頂きました。

幸せなこともそうでないことも、たくさんありました。

難しかったのは、利用者さんとの距離をいかにうまく保つかでした。

信頼や親近感を持っていただかなくてはならないけれど、近しくなり過ぎてもいけません。

しかし、利用者さんは、得てして個人的に親しくなろうと近づきがちです。

介護職の方はよく分かることと思います。

訪問介護での苦労の中、私を支えたのは祖父母です。

それと派遣であったので、子育てとの両立に都合が良かったこともあります。

デイサービスは、本当に辛かった。

要介護1から5までの状態の人が男女ともに、一室の狭い空間に8時間、一緒にいるわけです。

8時間にわたって皆を満足させるのはほとんど不可能です。

その不可能に心を砕いて尽くしてきました。

これは会社の方針にもよるので、TVの前に車いすにすわったまま放置状態で、事故さえおきなければそれでよい、一人一人に合わせていられない、大手はそうだと思います。

私がこの仕事から身を引いたのは、このデイサービスにおける、度重なる暴力に心身を壊したためです。

もう、やり切った。

祖父母にも、精一杯やったから許してね。

そんな気持ちでした。

もし、暴力を加えられて苦しんでいる人がいたなら、きちんと上の人間に訴え出ることです。

ただし、ここで詭弁を使う人間がいますので、負けないことです。

暴力?そんな言葉好きじゃないわ、何か理由があるんだし。

そういう人間の下では、日常的に蹴とばされたり叩かれたりする、そんな介護者が死んだような顔をして仕事をしています。

私はこういう考えを許容できません。

暴力は暴力なんです、それを認めることから対策を導き出すことができるんです。

この20年余りを支えたのは祖父母、そしてデイサービスの6年を支えたのは訪問介護の最後の仕事に入った方でした。

彼女は90を超え、ほとんど目が見えない状態で、日中は娘さんの手伝いがあるものの独居をしていました。

なんのわがままもなく、いつもありがとうね、といってくださる方でした。

最後の日、彼女は、ありがとうを繰り返し繰り返し、私が玄関のドアを閉めてもまだありがとうと、聞こえてきたことでした。

この経験がデイサービスの辛さを支えてくれました。

彼女の名は、茂さんといいます。男みたいだとわらっておられました。

茂さん、いまは天国で幸せにやっておられますか。

6年間、あなたの言葉に支えられました。

茂さん、ありがとうね。

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