星野道夫の写真を初めて見たとき、これは動く映像ではないのか?と驚きました。
間違いなくそれは2次元の紙に印刷された静止画なのですが、どうみても彼の写真は動画にしか見えませんでした。
星野道夫の短編に、熊よ、というものがあります。
これを読んだとき、ああ同じ感情だと、心が震えたものでした。
普段の生活の中でふと、熊を思う。
今この時、熊は木をまたいでいたりするんだろうな、と思い愛おしくなる、私は全く同じ感情を持っていました。
いつかテレビで見た、山肌を一頭の熊が登って行く場面、理由はわからないけれど、頭に心に焼き付きました。そうして星野と同じようにふと、ああ熊はあんな風に一頭で、今も山を歩いているんだな、そう思っては感慨にふけることがなぜか、多かったのでした。
それは、孤独、ということすらおそらく知らずにただ己の命をいきている、ただ今を生きている、与えられた命の営みを淡々と、行っているに過ぎないのでしょう。
初めて谷川岳登ったのは9月のことで、小雨が降り谷沿いの道は小川のようだったし、辺りは霧が立ち込めて手元がやっと見えるくらい、というコンディションだったけれど、なにしろ怖いということを知らない私は勢いに任せて登って行きました。
水音が聞こえてきます。
マチガ沢にかかる滝でしょう。
それはすぐそこにあるのだけれど、霧で見えないんです。
その時、妙な興奮状態になりました。
これだ、これだ、これなんだわたしの欲しいのは、そう思いました。
何が欲しかったのか、今もって分かりません。
ただ私と、霧と、滝だけがそこには在りました。
星野道夫がカリブーの群れの中に佇む時、それに似た、そしてもっと深遠な永遠の感慨に浸っていたのでしょうか。
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